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東京高等裁判所 昭和29年(う)1005号 判決

控訴人 被告人 ウイリアム・エル・キーズ

弁護人 守屋和郎

検察官 小出文彦

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、末尾に添附する弁護人守屋和郎名義の控訴趣意書に記載してあるとおりであるからこれに対し次のとおり判断する。

一、裁判権の有無に関する論旨について。

占領は、国際法上認められた占領地における軍事的管理である。即ち占領軍は軍事上の目的を以て占領を行うのであるから、この目的遂行のため又は占領地の安寧、秩序維持のため占領地において国際法上認められた一定の権力を行使するのであるが、占領国はその占領によつて被占領国の領土権をも取得するのではないから、その行う権力ば一時的であり、かつその範囲は軍事上の目的に限られる従つて占領という事実によつて占領国は被占領国の主権をも獲得し被占領国をしてこれを喪失せしめるというものではない。只占領期間中被占領国が自らこれを行使することを事実上制限せられるに過ぎないのである。主権の停止は主権の喪失を意味するものではない。

しかしその軍事上の目的に必要であるか又は占領地の安寧秩序維持のため必要でなければ法律の変革を行うべきでなく絶対の支障のない限りこれを尊重すべきであることはヘーグ陸戦法規第四十三条に規定するところであつて、その必要あるときは、占領国は被占領国の憲法その他の法規の如何に拘らず占領地に占領軍軍事裁判所を設立して裁判せしめ又は一時実体法規或は手続法規を停止変更せしめ或は被占領国の任命した裁判官を罷免することもできるのではあるが、このことは占領によつて被占領国はその固有の裁判権を喪失し、爾後占領国の裁判権のみが存在するに至るということを意味するものではない。只単にその占領期間中前記目的のためにその行使のみを事実上制限せられるに過ぎないのである。国家の裁判権は国家の領土主権に基くものであつて、他国の干渉によりこれを喪失するものでないことに徴しても蓋し当然である。

日本国においてはその国権の作用として日本国内において罪を犯したものに対しては、その国籍の如何を問わず原則として日本固有の刑事裁判権の厳存することは刑法第一条等の規定によつて明らかな大原則である。

しかるに日本は敗戦し昭和二十年九月二日降服文書に署名したので爾後連合国の占領管理するところとなり、連合国最高司令官の制限下におかれることとなつたが、裁判権については最高司令官は占領目的遂行の必要ありとして、昭和二十一年二月十九日附覚書第七五六号により連合国人に対しては日本国の裁判権の行使を制限するに至つた。(右覚書第一項には「日本の裁判所は以後連合国の人又は法人その他の諸団体に対し刑事裁判権を行使してはならない。〈以下省略〉第二項には「日本裁判所は以後次に掲げた犯罪に対して刑事裁判権を行使してはならない。〈以下省略〉又第三項には「日本裁判所は、占領目的に有害な行為が、日本の法律違反となるものである限りこれに対して裁判権の行使を継続することができる。」〈以下省略〉と規定し、将来における裁判権の行使を制限したものであることはその文言によつて明らかである。)しかしてその後数回に亘つてその制限の範囲を縮少したが、昭和二十五年十月十八日附覚書第二一二七号によつて、裁判の報告及び再審査等の権限を留保して一部の者を除く連合国人に対する裁判権の行使の制限を解除し、昭和二十七年四月二十八日に至つて平和条約の発効と共に名実共に日本国はその主権を回復したのである。

以上説述するところによつて明瞭であるとおり、日本国の固有の刑事裁判権は占領期間中と雖も厳に存続していたのであつて、只占領目的遂行の必要上という理由によつて特定の者に対してこれを行使することのみを制限せられていたに過ぎないのであるから、その制限の解除に伴う裁判権の行使はいうまでもなく日本国固有の裁判権の行使であることは勿論である。

従つて所論の如く占領期間中日本は連合国人に対する裁判権を喪失したと解し、延いては前記覚書第二一二七号によつて占領軍軍事裁判所の裁判権の行使を委任されたものであるというが如きは誤謬も亦はなはだしいといわねばならない。

しかして被告人は米国の国籍を有し、日本において貿易業を営むものであるところ、本件起訴にかかる犯罪事実は、被告人は昭和二十六年三月下旬から同年四月中旬までの間四回に亘り東京都において米軍票を不法に所持したというのであるから、とりもなおさず被告人は日本国内において罪を犯した場合に該当し、刑法第一条第一項により日本国の裁判権に服しなければならないことは言を俟たない。弁護人は、本件犯行は平和条約発効前の行為であるから被告人は所属連合国の裁判権のみに帰すべきであつて、日本の裁判所に提訴することは違法であると主張する。平和条約発効前においては日本国はその裁判権の行使について或る程度の制限を受けていたことは前段説明のとおりであるから、もし右条約発効前に日本国の裁判所に起訴されたものであるならば、日本国裁判所は被告人に対しその裁判権を行使できなかつたともいい得るが、平和条約発効後においては、日本国の裁判権の行使には何らの制限あることなく、元来厳存している日本国固有の裁判権を発動し得るのであるから、占領期間中の制限に関する覚書の如きはその適用なきことは勿論、爾後日本国の裁判所は連合国人に対して日本刑法を初めその他の法規を全面的に適用処断することができることは言を俟たない。そして犯人の行為が嘗て占領軍軍事裁判所において問擬されるものであると否とを問わないのである。従つて被告人の行為が仮りに平和条約発効前になされたものであつても、或は占領軍軍事裁判所に起訴係属していたことの有無を問わず、日本国の裁判所は被告人に対し全面的に裁判権を行使し得るものといわなければならない。このことは仮りに占領軍軍事裁判所において有罪の裁判を受けたとしても、同裁判所なるものが我が国の法制上日本国の裁判所に準じた取扱を受けず、従つて右裁判は日本国の裁判に対して一事不再理の効力もないと解せられていること(最高裁判所昭和二十五年三月七日第三小法廷判決同裁判所昭和二十八年七月二十二日大法廷判決参照)に鑑みても明白であろう。

従つて被告人に対し本件犯罪につき日本国裁判所に公訴の提起をなしたことは洵に適法であつて所論のような違法は存しない。

所論は本件は占領軍軍事裁判所に一旦係属した事件であつて、同裁判所が自己の裁判権の行使を留保したものであり、いわゆる懸案事件であるから被告人の本国の裁判所において終結するを国際慣例とする旨主張するも、前段説明のとおり日本国の裁判権がその固有の権限に基いて全面的に行使される以上弁護人の所論はこれを容れる余地がない。論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 大塚今比古 判事 三宅富士郎 判事 河原徳治)

弁護人守屋和郎の控訴趣旨

一、本事件に対する東京地方裁判所の昭和二九年二月五日の第一審判決には左の二点に付て不当がある。

(一) 本事件に対しては日本国裁判所が管轄権がないのに判決は之ありとして居る。(二) 無理に管轄権ありとして審理判決を行つた結果として判決は薄弱なる証拠に依つて有罪の認定をして居る。以上の不当は互に独立して控訴の理由となるものと信ずる。以下に二、三に分ちて詳述する。

二、本弁護人は本事件に対する日本国裁判権に関して第一審の法廷に於て次の要領を陳述して(弁論要旨参照)本事件に付て東京地方裁判所に裁判権がないとの趣旨を明らかにした。(一) 事件は連合国が日本領土を占領して居る間に起つたものであるから連合国占領軍の行使する連合国軍の主権たる裁判管轄権に属する。主権の行使を停止されて居る日本国には独自の裁判管轄権はあり得ない。昭和二五年十月十八日連合国最高司令官の指令に依つて日本国の裁判が特定の占領国民(主として非軍人)に対し裁判をしてよいとせられたとしてもそれは占領軍裁判権の行使に付委任を受けたゞけのことである。(二) 以上の委任に依る日本国裁判所の裁判権行使は占領期間中のみ有効であり此の期間経過後即ち平和条約締結と共に前記指令が消滅した上は此の指令をたてとして平和克復後に日本国裁判所が遡つて前記占領国民に対する裁判権行使を為すことは出来ない。(三) 本事件は平和克復直前まで占領軍が裁判権を行使し之を占領軍裁判所に提訴した為、明瞭に占領軍裁判所に繋属して居た事件である即ち本事件は前記指令に関聯して占領軍が現実に自己の裁判権に留保して居た事件である。従つて本事件は占領軍に依つて既に事実上終結せしめられて了つた事件と見るべきものでもある。但し若し終結せられずに居るものであれば、之は所謂懸案事件として占領国民所属の各本国の法廷が之を終結すべきを国際慣例上当然とする。

之に対して判決は前記最高司令官の指令に依り日本国の連合国非軍人に対する裁判権は完全に制限を解かれたのであるから本事件に付ては指令当時から日本国が独自最高の管轄権を持つに至つたもので日本国裁判所が審判して何等差支ないと述べ判決を正当としたのである。然るに此の理論には左の如き重大なる国際法上の理論的誤謬が指摘される。

(一) 判決は占領に依つて日本国の其の領土に対する主権行使が全面的に停止され之に代つて占領軍所属国の主権が日本国領土全面に対して行使せられるという事実を忘却して居るかの如くである。占領期間中は占領軍所属国の主権のみあつて日本国の主権は行動を停止するのである。(立博士支那事変国際法第二〇一頁以下参照)前記指令に依つて日本国裁判所が連合国民非軍人に対する裁判権を認められたとしてもそれは連合国主権の作用たる裁判権の行使に付委任を受けたのに過ぎないことは自明である。行使する裁判権は決して固有の日本国主権の作用たる裁判権ではないのである。日本国の裁判権が指令公布と共に制限を解かれたということは此の意味に於てのみ是認さるべきである。指令公布と共に前記連合国民非軍人に対して日本国の裁判主権が無げに恢復したと見ることは出来ない。前記連合国非軍人に対する連合国の裁判権が指令後尚存続して居たことは平和克復間際まで占領軍当局が本件被告人等に対する証拠蒐集其他の訴訟行為をしていた事実からも明瞭である。

(二) 判決が裁判管轄権に付き平和克復の前後に付其の属性を区別しないのは理論上不当である。平和克復後の裁判権は日本国固有の主権の作用である。全く別個のものであり其の行使に付時期的に前後があるのみならず両者に全く同一性はなく又継承性もないのである。連合国の裁判権は占領終結と共に死し之に代つて日本国固有の裁判権が出るのである。而して日本国固有の裁判権は連合国の裁判権の継続では断じてないのである。

(三) 占領軍所属国の裁判権の委任に依る日本国裁判所の裁判権行使は占領中は有効であるから若しも日本国裁判所が本事件を此の期間中に審理判決するならばそれは正当である。之には異論がない。恐らく連合国民非軍人事件にして占領中日本国裁判所に依つて審判された例は幾多あつたことと察せられる。然し本事件は平和克復後に日本国固有の裁判権の下に日本国裁判所に提訴することは最早や違法であり旧連合国民の立場より見て極めて不当である。彼等は占領期間中の犯罪に付ては所属連合国の裁判権のみに服するのであるからである。判決は此の点を全く省りみなかつた。

(四) 判決には本件を懸案事件として考査して、「元来占領国裁判権に提訴された事件であつても占領終了後は当該占領軍裁判所がなくなつたので之を日本国に引き継いでもよい」との趣旨を述べられているが、之も不当である。連合各国は此の事件を本国の裁判所に移して裁判するのに何等の不都合を感ずる訳はない。否斯くすることが所謂懸案事件の最も普通な取扱い方なのである。(詳述を避ける)

三、判決が証拠として援用して居るものは証人洪徳寿の信ずるに足りない証言の外には英文に依り為された証言は英文に依り作成された数個の文書類である。之に関し左の如き証拠法上の不服を申述べる。

(一) 洪徳寿の証言の信を置くに足りないことは洪が東京神戸間の往復汽車賃に足りない口銭を以つて軍票を東京に運搬したと述べて居ることの一点を指摘しただけで先分であると思ふ。此の外にも虚偽の陳述が二、三あるが前後の関係から茲に指摘するを要しない程明瞭であるから肯て詳述しない。斯る洪の証言を第一次的証拠としたことは不当である。

(二) 日本語を以て為された証言は唯一に洪徳寿の前記証言のみであり、他の証言は総て英語を以て為された。更に判決の援用した第二項以下の証拠は英語に依つて為された陳述を録したものか又は英文に依つて書かれた文書である。更に是等の証言及文書を正解する為めには非常に広汎な米国に於ける法規及取引慣習(特に金融に関する)に付ての知識を必要とし米国官民ならざる外国人特に米国と法規体系を異にし且つ米貨取引に関する商慣習に付て実相に徴し得ない日本官民に在りては前記証言及文書を到底正確に理解することは出来ないと思はれる筋が多いのである。斯る証言及証拠書類に依つて裁判所は有罪の認定を為すに充分な程度に事の真実を発見すべく心胆を砕いたであろうか。我等は之を疑ふ。前掲証拠の背景を成す膨大な英文に依る証拠資料にして占領軍官憲の蒐集に係るものを見之を参考として漫然之に信頼し其の信頼を先入観念として有罪の予断を抱き其の侭本件を有罪と認定しながら此の種英文証拠資料を証拠として判決に援用することを避け不完全にして過少な証拠のみを以て有罪を認定したかの如く装ふたものでないだらうか。我等は斯く疑ふ。被告人の弁護人等は一様に審理の困難に逢着した。被告人等も同様であつた。裁判官及検察官に依る被告人及証人等の訊問事項を把握し兼ねること屡々であつたことを我等は想起する。又、被告人等の彼等に有利な陳述は殆んど裁判所に依りて理解されなかつた観があつた。又被告人等には有利な証人が自国に帰つて居る為に之が喚問を要求することができないというような不利益も経験した。斯る証拠調の困難は、畢竟するに、本事件に付日本国裁判所が管轄権がないのに之ありとして之を審判するに至つた結果であると考えざるを得ない。若しも本件を占領軍裁判所が審判するのであつたら斯る証拠調上の困難は予想されない。裁判所が自国語たる英文にて書かれた証拠資料に依り証拠調をし而も米国法規及取引慣習に通暁した官民が之に参加するのであるから問題はないのである。日本国裁判所が自ら蒐集したものでない借り物の英文に依る証拠資料を以て証拠調をするのであるから不手際な証拠調しか出来ないのは当然であると言ひ得るかと思ふ。始めより日本国裁判所に固有の管轄権があつたとしたら日本国裁判所は日本文に依る完全な証拠資料を有し之に依つて裁判を行ひ得た筈である。以上の如き証拠調の困難があつたに拘らず判決が本件を有罪と認定し其の証拠として前掲の如き貧弱な証言及証拠書類を掲げたに過ぎないことに付いては不服を申述べざるを得ない処である。

(三) 判決が証拠として掲げた第二項以下の証言及証拠書類は之が背景をなす幾多の他の証拠資料なくしては単独で有罪を認定するに足る充分な証拠力はないものと認める。

(四) ウイリアム・エル・ケイの陳述は虚偽の陳述であると彼の弁明したものであり信憑性がないものである。之を証拠に援用したことは不当である。

四、結論として、(一) 先づ日本国裁判所に裁判管轄権なしとして本書第一、二の理由に由り原審を破毀し公訴棄却を言渡あらむことを求める。(二) 高等裁判所が裁判管轄権ありとせらるることある場合に備へて斯る場合には本書三以下の理由に由り証拠不充分として無罪の判決あらむことを求むるものなることを茲に附言する。

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